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大切にしていること

自然美の尊重

例えば、本物の食材は、そのままがおいしいと思うことはありませんか。このように、本物はありのままが最も美しいというのが世の常です。

その逆もいえます。ごまかしがあったり、質の低い生産方法の食材は、かなり手を加えても、本物には敵いません。

教育も同じです。原点に忠実な本物の教育は、こどもたちの持つあらゆる「自然なこと」を最大限に尊重し、最大限に引き出す教育だと、私たちは考えます。

自然美の尊重、それは、環境保全・サステナビリティ運動を原点とする銀鮒の里学校の開校精神のDNAです。

では、自然美を尊重する教育とはどのような教育なのでしょうか。

時代や地域で変わらない「こどもの普遍性」

こどもあそびのかい「笑い鮒」の取り組みでこどもたちから教えてもらったこと、それは、昔も今も、こどもたちがときめくことは同じだということです。

現代のあそびといえば、ビデオゲームのような、商業的なものに頼るあそびばかりをイメージされる人が多く、昭和の頃のあそびなど、現代っ子なんか見向きもしないと決めつける人が多いのではないでしょうか。しかし、その思い込みは見事に打ち砕かれます。現代っ子でも、あそびを教える大人の意識次第で、昭和初〜中期頃のこどもたちと同じように、昭和の頃に当たり前だったあそびのほうに夢中になるのです。こま回しのように、心身が連動した知恵を活かしてせいこうしたときの自己肯定感を楽しむことができたり、こどもどうしで手をつないだり、ほどよく肌がこすれるときの気持ちよさといったスキンシップ効果や思いやりの心が育つよろこびがあることが、昔あそびでときめく最大の理由だと考えられます。

また、本来のこどもは、つばやうんち、はなくそ、お手々のねちょねちょなど、大人からみれば、無頓着に見えるほど気にしたりせず、むしろ、出すことが大好きです。このことは、こどもたちが「うんち」を題材にした絵本や科学ばなしが大好きだったりすることからもわかることです。現代のこどものなかには、こどものからだから出るものに過度に神経質になる人もいますが、それは、ほとんどの場合、まわりの大人の意識の影響です。つばを出したり、はなくそをほじることを「きたならしい」「はずかしい」などと制止したり、こどものうんちを「くさい」「きたない」などといえば、こどもたちは、自分の身体から出るものを罪悪感の対象だと、過度に考えるようになり、このことが、やる気の減退やストレス、アレルギー体質などのかたちで、心身の健康に影響が現れるのです。銀鮒の里学校の教職員は、元気なこどものからだ(手のあぶらなど)やうんちなどのありのままのにおいも知っていますし、そのような自然なにおいが大好きです。つば・うんち・はなくそ・お手々のねちょねちょ…どれも、こどものからだの物質循環が活発な証ですから、しっかり出してあげて、それらをしっかりと肯定的に受けとめてあげたいと考えています。

銀鮒の里学校では、こども本来の「好き」を尊重し、粗悪な商業的誘惑などに惑わされないよう、一人ひとりの積極的な「好き」の気持ちにしっかりと寄り添い、しっかりと伸ばすことで、一人ひとりの個性が光る、将来は社会起業家を目指すことのできる、ねばり強いこどもに育てます。

「不器用でもいい」まごころ込めてなしとげる気持ちを育てたい

みてくれのよい野菜などへのこだわり、それは、中身よりも外見だという、現代日本の歪んだ価値観を象徴することといえます。

見てくれがみすぼらしくてもいい。そのことに真剣で、中身のしっかりした、人のぬくもりが伝わる取り組みこそ、銀鮒の里学校では大切にしたいと考えています。むしろ、見た目が地味だったり、みすぼらしく思える物事にこそ、本物があることを、銀鮒の里学校はよく知っています。だからこそ銀鮒の里学校は、見た目に惑わされない真贋を見極める眼やこころを育てる教育でありたいと考えています。

現実世界にしっかりと向き合い、じっくり丁寧に考えること

私たちは、現実世界のなかで生きています。現実世界にしっかりと向き合い、じっくり丁寧に考えることは、真実の気づきを得て、生きる力を高めていくうえで、避けては通れない、とても重要な過程です。だからこそ、銀鮒の里学校では、大切にしています。

因果のつながりを大切に

従来の公立学校での教育では、児童の問題行動は、その児童に問題があると決めつけるようなことが多々ありました。これは、因果関係を無視した教育であり、間違った考え方です。なぜ児童の問題行動は起きるのか、その原因のほとんどは、こどもの置かれている環境にあるのです。言い換えるならば、こどもの置かれている環境を改善し、そのこどもにとって居心地のよい環境をつくってあげることで解決できるのです。例えば、「こどものうんちは臭くてきたない」と決めつけてしまえば、学校でのうんちの問題をタブー視することとなり、いつまで経ってもこどもにとってよい状況に改善することはありません。こどものうんちが臭くてきたないと思い込む原因には、食生活や生活習慣の乱れの放置があります。からだによいものを食べて、しっかりとからだを動かしてあそび、早寝早起きをすれば、その結果として、どのようなこどもでも、とても良い香りの、善玉菌たっぷりのきれいなうんちが出ます。日頃の教育現場において、そのようなよい習慣を、水や空気のごとく実践していれば、うんちはきれいなものになり、肯定的に向き合う駆動力となります。それが、因果応報ということです。

このように、日頃からこどもの因果としっかりと向き合い、こどもにとって居心地のよい教育環境づくりをすることで、お互いに悔いのない生活ができるような教育的配慮をするよう、日々努力します。

現実にしっかりと向き合い、物事の成り立ちや各主体のあり方を考える習慣

現実世界における物事の成り立ちや、各主体のあり方を考える哲学的熟考の繰り返しは、学問ではとても大切なことです。

しかしながら、最近の公教育では、過度にマニュアル化・ルーティン化された学習指導によって、考える過程を重視せず、結果を重視するような教育手法が一般化し、学問の原点に反する、筋道立てて考える論理的思考力の低下など、多くの問題が起きています。つまり、学問の原点から大きく乖離した教育になっているというわけです。

そこで銀鮒の里学校では、このような現代の教育問題の反省から、雑念や喧騒のない自然豊かな里山の環境で、時間をかけてじっくりと筋道を立てて考える哲学的熟考を日常的に実践するカリキュラムデザインを行っています。博士号(農学)保有者が発起人であることは、そのような教育を実現するうえでの大きな強みとなります。

手づくり教育

昭和中期頃と比べて、現代の教育の質が低下したといわれるようになった原因のひとつに、「教育の手づくり離れ」があります。教育から愛がなくなっていったのです。教育は人間によるサービスだからこそ、愛ある教育はとても大切なことであると、銀鮒の里学校では考えています。

手づくりのあたたかさに包まれた教育

文部科学省検定教科書の主教材に、教科書準拠のドリルと既製品のペーパーテストといったような、まるで「加工食品ばかりを食べさせる」ような教育は、こどもたちが、学校がつまらなく感じる原因のひとつとなっています。

昭和中期頃の木造校舎で、担任の先生が、こどもたち全員の教材をガリ版で真心こめて手作りでつくっている姿をみてきたこどもたちは、先生の手のぬくもりが伝わってくるような愛のある教材で、自発的に学びたいと思ったものでした。そのような、手づくりの教材があたりまえの教育を現代のこどもたちにも受けさせてあげたいという強い想いとこだわりが、銀鮒の里学校にはあります。手づくり教育から、手づくりのほんとうのすばらしさを理解し、手づくりのあたたかさが身近にあたりまえにあるようなくらしを再び復活させたいという想いもあります。

教育の原点を徹底追求し、教職員も楽しく

学校教育とは、「こどもと接していくら」の世界です。しかし、ペーパーテストの採点や教職員会議などの、こどもとは距離を置いた校務に忙殺され、こどもと接したくても接することができないといった矛盾が、多くの公教育の現場で生じています。

こどもたちにとって楽しい学校にするには、教職員も楽しく輝ける職場にしなければならないと、銀鮒の里学校では考えています。そのような学校環境を実現するために、銀鮒の里学校では、教育上の効果もないペーパーテストをはじめから廃止したり、無駄な教職員会議をなくすため、校内CMSを活用した情報共有や意思決定の迅速化を図るなどの工夫を行います。無駄な校務を省いて浮いた時間をしっかり使って、教職員が童心に帰って、こどもたちと肌をふれあいながら楽しくあそべるような、和気藹々とした学校環境づくりを目指していきます。