ホーム > 教育活動情報 > 銀鮒の里学校とSDGs > 【5】ジェンダー平等を実現しよう

銀鮒の里学校とSDGs

「男だから」「女だから」と決めつけない

これまでは、よく、「こままわしは男の子のあそび」「リリヤンやゴムとびは女の子のあそび」と決めつけられることもよくありました。しかし、銀鮒の里学校の笑い鮒では、このようなあそびも、男女を問わず、いっしょになかよくあそんでいます。楽しいことは、男の子も女の子も同じなのだということがわかります。

子どもは群れるとき、どうしても女の子どうし、男の子どうしで群れることが多くなりがちですが、これを、男女関係なく群れてあそぶ場を設定してあげたりします。そして、男の子と女の子とが、手のひらをあわせたり、肌をすりあわせてあそんだりしてもらいます。すると、肌を触れてみると、男の子も女の子も、みんな同じようにここちよいことがわかり、性別が違っても、人としては基本的に同じで、とても近いのだということもわかるのです。

昭和中期頃の子どもの写真をみると、男女混じってあそんでいる様子をよく見かけます。当時は性差の意識が強いと思われていましたが、子どもに関しては、むしろこの頃の子どもよりも、性差の違いを意識せずにあそんでいたこともわかります。

「男だから男らしく」「女だから女らしく」という思い込みが、互いの距離を遠ざけるだけの、いかに意味がない思い込みであるかがよくわかります。

生物学的観点での性教育を

動物の性別を判定するとき、よく肛門(性器)の違いを比べたりします。植物の花で、きゅうりのように雄花と雌花が分かれて咲く種類は、雄花は多くの花粉を出し、雌花は花粉を受け取る雌しべや子房が大きいことがわかります。また、果樹では、自家受粉ではうまく結実せず、他の木の、できるだけ品種違いの木の花粉を受粉するとよく結実するということがあります。このような現象から、生殖ということに関しての自然界の掟の共通性を哲学的に気付かせます。一般に、生殖は、開花期や産卵期が限定されるなど、限定的に行われるうえ、あえて手間がかかるように完結するようになっていますが、これは、母子ともに強く生き続け、子孫が健全に繁栄するための掟なのです。同じ地球上で生きる生物種である人間でも同じことがあてはまるのです。 男子と女子との違いが最もよく現れるのは性器ですが、互いに生物学的かつ理性的に理解することは、とても大切なことです。そして、タブー視したりせず、お互いに尊重しあい、いたわりあうことが大切なのです。

ジェンダーフリートイレの普及を

近年、LGBTの人への配慮の観点から、ジェンダーフリートイレの設置事例が増えてきていますが、これはとてもよいことです。トイレを男女別にすることは、単なる慣例にすぎず、合理的な根拠はありません。その合理的な根拠のない男女別トイレのために、女子トイレの待ち時間が長くても、男子トイレは使えないなどといった問題もよく起こっています。

男子も女子も、同じようにうんちやおしっこをします。実際に男女共用トイレを使ってみると、前の使用者が異性でも、何ら違和感なく、お互いに気持ちよく使うことができるものです。トイレを男女共用にすることは、男女間の心理的距離を縮小することができるので、ジェンダーフリーの意識を社会的に高めるにはとても効果的です。