銀鮒の里学校とSDGs
以前から深刻な教育問題となっている理科離れの影響は、もうすでに、いたるところにみられています。例えば、日本製の製品の優位性は、新興国での著しい技術革新もあり、さほどなくなってしまいました。その一方で、木造建築の伝統工法に象徴される日本の伝統技術の衰退も、この半世紀の間で顕著です。
日常生活でも、40年くらい前までは、日本の伝統的な質素倹約型の生活様式もあり、科学的な考え方が求められる生活の知恵ということが重要視されてきました。ところが、近年では、家事のあらゆることを、お金で買える製品やサービスに頼るようになることが多くなり、繰らしの知恵ということが忘れられつつあります。このような、一見して些細なことと思えるようなことに、技術立国日本の危機的兆候が見られるというわけです。
銀鮒の里学校では、まず、身近なものごとを哲学的に感じ、考える習慣を身につけることからはじめます。この方法論は、STEM(科学技術)教育はもちろんのこと、他の分野にも普遍的に通じることです。科学技術の基礎は自然現象や自然物に関しての理解です。その理解の過程で、「なぜ」という疑問が生じますが、その疑問を論理的に筋道を立てて解決することの反復で、見える世界が広く、深くなっていくのです。そのような過程を反復して得られた無数の知見を、状況に応じて組み合わせることで、新しい科学技術は組み上げられるのです。新しい智によって、技術革新の礎とすることの真の意味を考える機運を高めていきたいと、銀鮒の里学校は考えています。
Linux教育でこそ実現できる、ほんものの情報教育
Linuxは、市民が無償で利用でき、自由に開発できる、非営利の市民プロジェクトによって開発されているオペレーティングシステムです。
プログラミング教育の必修化は、情報機器やソフトウェアの業界に商機を与えるものとしても注目されることがあります。このような業界が売り出す教材は、コンピュータを「依存の対象」とせしめる、WindowsやiOSなどの商用システムで受動的に動作するものであり、コンピュータを能動的に動作させるということを身につけるという本来の趣旨にはそぐわないものといえます。一方、Linuxは、「人に従属させて動作させる」ものであり、コンピュータを能動的に動作させるということの真の意味を学ぶことができます。
銀鮒の里学校では、このようなコンピューティングの原点に立ち返り、Linuxシステムを活用した情報教育を行います。